明後日からでいいかな

とある男子達の多趣味な記事をご紹介

【閲覧注意】コンプレックスの話

 

どうも、ざる蕎麦です。

 

ここが稼働するのはかなり久しぶりですね。前回記事から一年とか噓でしょと思わず投稿日時を二度見してみればやはり嘘ではありませんでした。

 

もともと思い付きで仲間と始めたブログ故、更新も勢いでするものですからこんなもんでしょう。僕自身、今回の記事以外では全く執筆する気はありません。もし今後を楽しみにしている読者様がいるなら、残念なことにその期待にはこたえられそうにありません。

 

さて今回は、タイトルにもある通り僕のコンプレックスについて語っていこうと思います。

 

※自分語りになるので、興味がなかったり苦手な方はここでブラウザバックを推奨します。

 

学校や職場にこんな人間を見たことはありますか。なんでそんな余計な突っ込みを入れるんだみたいな人間。いいよそんな質問とか、別にどっちでもいいじゃんみたいな感情を抱かせてくる人間。

 

不肖私ざる蕎麦は、それらに該当するような残念な人間でございます。

 

自分の発言のせいで進行を遅らせたり、最悪振り出しに戻してしまったり。トラブルの原因になってしまった経験は数えきれない。現在でもその悪と言える所業を積み重ね続けているわけです。

周囲の迷惑そうな雰囲気、目線、表情を受け取ってなぜそんなことをしてしまうのかを考えたのは、つい先日のことでした。

とはいっても、これが初めてというわけではありません。今までに何度も考えたことがあります。

こうして文字に起こしたのは、ある程度僕の中で整理できたからだと思います。

 

まずは原因について掘り下げていきます。上記に該当する突っ込み体質な人全てに言えることではありませんが、僕の場合は疑念を抱いたまま次に進めない性分が原因だと考えました。妥協がヘタクソなんですよね。

 

一度「なぜ?」と思考してしまえば、納得のいく答えに辿り着くまで頭のキャパシティを一杯にしてしまう。恐らくそこに保留するなどの選択肢が介在する余地がないのでしょう。「そういうもんだ」までいけないのです。例を挙げるとするなら、『大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れて』と聞いて『どこからそんなでかい桃がきたんだ?てかどんぶらこってなんだ?』と考えてしまい、後の話が入ってこないといったところ。

 

多くの物事に対し、「なぜなのか」や「これはどうなんだ」という疑念を解消するような答え、理由を得るという余計なプロセスを挟まなければ気が済まない点を含んでしまうのが僕です。面倒くさいでしょう?

 

当然、こんな人間は世間一般では少数派なのは間違いなく、多様性を重視する現代社会でも形容されないような気さえします。僕と同じ突っ込み体質な人間がいたら名乗り出てほしいぐらいですよ。これはどうかと相談しようにも「知らねえよそんなこと」と返されるのがほとんどで、未だこの話題を誰かと共感できたことはありません。それが消化できなくなった結果、誰かに突っかかってみるという行動に表れてしまうのではないでしょうか(単に後先考えないというのもある)。

 

空気を読むことより優先してしまうのは、自分自身が思考の沼に陥らないために必死であることの表れだと私は考えます。

 

そうなると僕の突っ込み体質とは、納得しなければならない病の副次的なものであると考えることもできます。1つを飲み込むためには一般的にどうでもいいとされる事柄も必要な素材となり、最悪余計な行動に出てしまう。この病に何度苦しめられたことか。

 

よく”賢い”や”独創的な視点”と長所を挙げてくれる人がいます。しかしその実態は醜いものです。人より賢くないから人より考えなければいけないし、いくら独創的といってもその概要はどうでもいいことで埋め尽くされています。僕にとってそれらの誉め言葉は時に劣等感すら感じえるのです。これまでの人生で長所が役立ったことなどありませんでした。

 

世の中には個性なんて素敵な言葉がありますが、それで片づけてしまうのも烏滸がましい短所。このコンプレックスは日常の至る所で露になり、事あるごとに僕を苦しめます。自制することは残念ながらできません。

 

僕の行動に嫌な顔をする人に「人の気も知らないで」と思ってしまったことがありますが本当は違います。人の気を知らないのは他でもない僕であり、後ろめたさを感じてもやってしまうのです。

 

ここまで暗い話ばかりですいませんね。ではそろそろ明るい話でもしましょうか。このことに対する僕の最近のポジティブシンキング

 

少なくとも学生であるうちは思考そのものから逃れることはまず不可能でしょう。疑念を解消するには誰かしらに迷惑をかけてしまうとなると、ストレスは溜まる一方。

 

だから僕は、思考そのものを楽しむことにしました。病の一部を娯楽に昇華させたのです。根本的な解決には至っていないのですが、精神生命は少しでも保てると思います。Twitterも小説も、自分の思考を書き留めた大量のルーズリーフも、全てはその延長線上にある。このブログだってそうです。内容は暗いのですが、書いていて楽しいんですもん。これが僕のポジティブシンキングです。割り切ることができない僕の割り切れる数少ないことです。

 

結局この記事は何が伝えたかったのかと問われれば難しいですが、読者様はこういう人間がいるんだど頭の片隅に置いておいてくれると嬉しいです。もし同じように苦しんでいる方がいるなら、この書き殴った記事が何かの励みになればと思います。同士はここにいますよ!

 

ここまで読んでくれた貴方に、多大なる感謝を!